東京地方裁判所 昭和35年(ヨ)2123号 判決 1965年5月26日
申請人 鈴木茂
被申請人 国
代理人 小林定人 外三名
主文
本件申請を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
事 実<省略>
理由
第一、申請人は昭和二四年六月以降被申請人に雇傭されて部隊に洗車工として勤務していたが、昭和三五年二月一五日付で申請人主張のとおりの理由でいわゆる保安解雇の意思表示を受けたことは、当事者間に争いがない。
第二、申請人は本件解雇の意思表示は無効であると主張するので、以下順次検討することとする。
一、成立に争いのない乙第二号証(細目書I人事管理F節保安上の危険)によれば、アメリカ合衆国軍隊(以下「駐留軍」という)が日本国において使用するため日本国政府(以下「日本側」という)が提供する労務者を保安上危険であるという理由で日本側にその解雇を要求する場合には、とくに駐留軍の保安上の利益を害しない場合を除いて、その具体的理由を明示することなく、単にその労務者が該当すると考えられる抽象的な解雇基準が示されるにすぎず、解雇に至る手続においても、日本側は単に意見を述べる機会が与えられているにとどまり、しかも駐留軍が保安上の危険を理由に解雇要求をした場合においては、日本側はただちに当該労務者の解雇措置をとることを義務づけられているなど、保安上の危険の存否についての最終的認定権はもつぱら駐留軍にあるものと解される。
細目書の上記のような保安解雇についての取扱いが、外国軍隊である米軍の任務の性質上、強度の組織統制と高度の機密保持を必要とすることによるものであることは、これを諒解するに難くない。ところで、駐留軍労務者の労働条件を定めた細目書の条項が一般私企業における就業規則のそれと同性質のものであることについては、当事者双方ともに異論がないところ、一般に解雇基準を定めた就業規則の条項は、使用者においてその恣意的な解雇から労働者を保護する趣旨に出たものと解するのが当然であり、この点は、細目書IF節Iの保安解雇基準についても同様に解せられる。ただ解雇基準を定めた条項が解雇に対してどのような規範的意味をもつかについては、すべての事業体において必ずしも一律ではなく、事業の特殊な性質、目的、組織体制その他就業規則の関連規定等を総合的に考察した上、合理的に判定せられるべきものである。
そこで、右の見地から細目書の保安解雇基準の趣旨について考えてみるのに、たとえ保安上の危険を理由とする場合であつても、いやしくもその解雇基準が定められている以上、右基準に該当するなんらの具体的事実もないのに、あるいは他の不法な目的、動機等から右理由に名を籍りて、労働者を職場から排除することは私企業の場合と同じく許されないものというべく、かような米軍の不当要求に基いて被申請人が駐留軍労務者に対してした解雇は無効と解するのが相当であるけれども、保安上の危険やこれに関する秘密性の保持について米軍が極度に敏感であることは、その任務の性質上当然であり、保安上の危険を理由とする解雇について使用者側よりその具体的事由が積極的に明確にされるのを期待することは事柄の性質上困難というべきであるから、単に保安解雇基準に該当する具体的事実の存在が不明確であるからといつて、直ちに右解雇の意思表示が解雇基準に違反するものと断ずるのは相当でない。換言すれば、保安解雇を無効というためには、解雇基準に該当することを疑わせるような事実が存在しないことが明らかであることを要し、右のような事実の不存在についての蓋然性が証拠上認められる場合に限り、解雇基準に反するものとしてその効力を否定すべく、細目書IF節1に定める保安解雇基準の規範性は、右の限度において存するものと解するのが相当である。本件において、上述の意味における申請人の保安解雇基準不該当の事実については、その疎明が不十分であるから、解雇基準違反の申請人の主張は採用できない。
二、保安解雇基準の趣旨につき上記説示したところに従えば、本件保安解雇につきその妥当な解雇事由(右基準に該当する具体的事実)が明示されていないことの故をもつて、右解雇の意思表示が信義則に反するものということはできないからこの点に関する申請人の主張も、理由がない。
三、次に本件解雇は憲法および労働基準法に違反するとの主張について考えるに、仮りにその主張のように細目書IF節1bにいわゆる破壊団体または会が日本共産党を指すものであるとしても、申請人が日本共産党に所属していた事実も、駐留軍において申請人を共産党員とみなしていた事実についても疎明はないから、右主張は理由がない。
四、最後に不当労働行為の主張について考える。
1 申請人の組合経歴について
弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二号証および申請人本人尋問の結果に争ない事実を加えると、申請人は後記のように昭和二六年八月組合が結成された後、組合の読書研究会会長に就任し、昭和二七年四月頃から昭和三四年五月まで組合執行委員(昭和二八年から昭和三〇年まで組織部長を兼任)に、昭和三四年五月三〇日同執行委員長に、同年七月一八日新全駐労横浜支部結成後は同支部執行委員(失業対策部長および分会長を兼任)に各選任されたことが認められる。
しかし、申請人が昭和二六年八月組合が結成された際闘争委員に、昭和二七年四月組合事業部長に選任された事実については、申請人本人のこれにそう供述があるけれども、滝村幸雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証の記載と対比してにわかに採用しがたく、その他の組合役職就任の事実については、これを認めるに足りる疎明がない。
2 申請人の組合活動について
(一) 組合結成および読書研究会における活動について。
前記乙第五号証(ただし、後記採用しない部力を除く、)および申請人本人尋問の結果によれば、申請人が被申請人に雇傭された当時すでに部隊には労働組合はあつたけれども十分な活動をしていなかつたので、その後間もなく申請人を告む従業員の有志約二〇名によって労働組合再建準備会ができ、昭和二六年八月頃、部隊従業員約三、二〇〇名中約七〇〇名をもつて新たに組合が結成され、申請人はその内部機関としてもうけられた社会科学の基礎的学習を目的とする読書研究会の会長に選任されたが、同研究会は会員の集りが思わしくなく、半年ほどで自然消滅の形により解消したことが認められる。右認定に反する乙第五号証は採用しない。
(二) 五級スタンダード実施にともなう賃金是正闘争について。
昭和二七年九月頃旧全駐労が申請人主張のような目的のもとに五級スタンダード実施にともなう賃金是正闘争を行い、一〇日間のストライキを行つたこと、その後給与の不均衡是正の措置がとられたことは、当事者間に争いがない。申請人は右闘争に際し執行委員として組合を指導し、組合単独で未組織労働者をも含むストライキを敢行させた旨主張するが、これを認めるに足りる疎明はない。かえつて、前記乙第五号証および申請人本人尋問の結果によれば、前記闘争には組合も参加したが、その闘争指導にはダンプセクシヨンの小林、バスセクシヨンの桐谷、平野、山口、トラツクセクシヨンの相馬らの自動車運転手が専らこれにあたつたのであつて、申請人は一闘争委員として各職場間の連絡にあたる程度の活動をしたに過ぎなかつたことが認められる。
(三) 労務基本契約改定反対闘争および職場要求のストライキについて。
昭和二八年七月組合が労務基本契約改定反対および洗車工に対する長靴、雨合羽、洗車用ブラシの支給要求を含む三十数項目の職場要求を掲げてストライキを行つたことは、当事者間に争いがない。申請人は右洗車工についての要求は申請人が組合に働きかけて要求項目中に取り入れさせたものであり、またストライキについてはその必要性を強調し、青年行動隊として積極的に活動した旨主張するが、鈴木秀男の証言および申請人本人の供述中、これにそう部分は信用できない。かえつて右鈴木の証言および申請人本人尋問の結果(ただしいずれも前記措信しない部分を除く)に前記乙第五号証を総合すれば、上記洗車工に関する要求項目については、すでに昭和二五年末頃から執行委員である加藤マネージヤーや職場委員である平井健次が中心となつて要求していたものであつて前記ストライキに際しこれを職場要求の項目に掲げるよう組合に申入をしたのも右両名であること、ストライキにあたつては、申請人は青年行動隊の一員(副隊長ではない)としてピケに参加したが、とくに個人として際立つような行動はなかつたことが認められる。
(四) 希望退職者に対する支援闘争について
昭和二九年一月から駐留軍労務者の勤務体制が四八時間制から四〇時間制に切り替えられたのにともない人員整理の結果百九十数名の希望退職者があつたが、その後その一部が現職に復帰して二〇日分の給与の支給を受けたことは、当事者に争いがない。申請人は右一部の復職が実現したのは、申請人が退職者連盟を組織して闘争した結果であると主張するが、これを認めるに足りる疎明はない。かえつて、前記乙第五号証、鈴木の証言および申請人本人尋問の結果によれば、当初米国は退職の希望者一九一名(その大部分は自動車運転手)を軍令解雇扱いにすることを約しながら、後日にいたり退職者に不利な自己退職扱いにしようとしたため、組合と米軍および労管との間に紛争が生じ、これに反対する退職者は吉田喜一が中心となり、組合の資金的援助のもとに退職者連盟を組織して労管と交渉を続けた結果、前記のように一部の者の復職とこれに対する賃金の支給が実現したものであることが認められる。
(五) 制裁規定反対闘争について。
昭和三一年七月四日調印された制裁規定に反対し、同年八月旧全駐労および日駐労が全国的なストライキを行い組合もこれに参加したこと、その後制裁規定の一部が改正されたことは、当事者間に争いがない。そして前記鈴木の証言および申請人本人尋問の結果によれば、右ストライキの際、申請人は従来比較的組織も弱く、スト破りも少くなかつた横浜市山下町方面のバスセダン関係の職場におけるピケの責任者となり、ハウスボーイやメードが同所附近の米軍将校クラブやアパートに出入するのを阻止したことが認められる。
(六) 資金カンパについて。
前記滝村の証言により真正に成立したものと認められる乙第六号証および乙第七号証によれば、米軍施設内において米軍の許可なしに従業員が組合活動することは厳重に禁止され、申請人の主張するような資金カンパもその例外ではなかつたことが認められるので、仮りに申請人が職場内でカンパ箱を持つて資金カンパをしたことが申請人本人供述のとおりであるとしても、右のようなカンパ活動は米軍の目のとどかぬところで、ひそかに行われたものにすぎないと考えられる。
(七) 人員整理反対闘争について。
昭和三二年九月一〇日組合員一五二名が人員整理の対象となり、組合が右整理に関し横浜労管と交渉中、同年一〇月一八日から二二日まで組合員が同労管会議室に座込みを行つたこと、同年一一月五日駐留軍離職者の特別措置に関する法律を成立させるため、旧全駐労と日駐労が全国的に四時間の時限ストライキを行つたことは、当事者間に争いがない。そして申請人本人尋問の結果によれば、申請人は横浜労管における前記座込みに参加し、また前記ストライキの際ピケ隊長をしたことが認められる。
(八) バス職場明朗化闘争について。
前記鈴木の証言および申請人本人尋問の結果によれば、部隊のバスセクシヨンにおいて、白川マネージヤーが従業員に対し、仕事の配分について自己の好悪により著しい差別待遇をし、それがひいては従業員の馘首問題に発展するようにもなつたため、昭和三三年二月頃から職場明朗化運動が起り、従業員らが仕事の配分につき白川と直接交渉してその要求を認めさせたが、右運動において従業員の大部分が自動車運転手で勤務時間を異にし、かつ外部で仕事をしているのに対して、申請人は終日洗車場にいて他の従業員と接する機会の比較的多いところから、執行委員長とともにその指導にあたり、この問題について労管と交渉したこともありまた右運動の過程において非組合員の間にも組合強化の必要が認識され、組合加入者が増えたことが認められる。
(九) 人員整理および業務切替反対闘争について。
昭和三三年九月二五日旧全駐労および日駐労が人員整理および業務切替反対を理由に行つた二四時間の全国ストライキに組合も参加し、さらに組合は同年一一月二四日から二八日まで人員整理および新勤務スケジユール反対闘争を行つたことは、当事者間に争いがない。申請人本人尋問の結果によれば、同年九月二五日のストライキにおいて、申請人は青年行動隊長として部隊のモータープールメーンゲイト前で坐込みを行つたことが認められる。しかし申請人が同年一一月二四日から二八日までの闘争において日中坐込みを行つた事実については、これを認めるに足りる疎明はない。
(一〇) 執行委員長就任について。
昭和三四年三月二〇までの人員整理の結果、申請人主張の組合役員が解雇され、同年五月三〇日申請人が執行委員長に選任されたことは当事者間に争いがなく、申請人本人尋問の結果によれば、申請人が執行委員長に選任されたのは、相次いで組合役員が解雇され他に適任者がいなかつたためと認められる。
(一一) 新全駐労横浜支部における活動について。
昭和三四年五月旧全駐労と日駐労とが併合して新全駐労が結成されたのにともない、両者の各支部も統合されて新全駐労横浜支部が結成された事実は、当事者間に争いがない。しかし、右統合について申請人がその中心的役割を果した事実については、これを認めるに足りる疎明はない。
3 申請人の活動に対する米軍の関心について
(一) 洗車場における日常活動について、部隊の従業員の大半は自動車運転手であつて、その出勤時間がまちまちであることは当事者間に争いがない。前記乙第五号証、証人鈴木、同吉田宜訓の各証言および申証人本人尋問結果によると、申請人の勤務場所である洗車場には自動車運転手が毎日必ず一回は洗車のため立ち寄るため、申請人は自然これらの運転手と接する機会が多く、一方運転手らは前記のように出勤時間がまちまちのうえ、出勤すると自動車を点検しすぐ各勤務先へ散つてしまつて、相互に顔合せをすることが少ないため、勢い洗車場に立ち寄つた折に組合役員である申請人に組合関係の情報を尋ねたり、申請人を中心にして組合活動について意見を交わしたりするようになり、申請人もこのようなことから、これら運転手の間で申請人は昭和二八年頃から「委員長」の愛称をもつて呼ばれるようになつたことが認められる。申請人は、米軍が申請人の右のような行動に注目し、昭和三〇年頃から同三二年三月頃までの間米兵を監視のため常時洗車場に派遣し、また作業課のサージアン、トリス自らしばしば洗車場を巡廻し、さらに申請人の組合活動の場を奮うため、米軍の常駐する作業課事務所附近に洗車場を移転させたと主張し、洗車場に対する右米監視兵の派遣、トリスの巡廻の事実は当事者間に争いがなく、証人鈴木、吉田、中山正明の各証言および申請人本人の供述中には申請人の主張に符合する部分があるけれども前記乙第六、第七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一二号証、右証人吉田、中山および申請人本人の爾余の供述部分に対比して容易に採用できない。かえつてこれら証拠に弁論の全趣旨を総合すれば、洗車場および洗車事務所はともに同一場所にあり、数回にわたり移転したものであつて、当初は作業所事務所から徒歩約一〇分の位置にあつたところ、その敷地が日本政府に返還されたため、作業課事務所から約四〇米離れた位置に移転したこと、右場所に移転したのは洗車場として必要な広い面積と、自動車の燃料補給および注油の便宜という観点からも右区域が最適であつたことによるのであつて、右移転後といえども、作業課事務所前には高さ約三丈のれんが塀があつたため同事務所内から直接洗車場を監視することは不可能でありその後昭和三五年六月現在洗車場および洗車事務所は作業課事務所前の広場で同事務所から比較的見通しやすい場所に移転されたものであるが、いずれも申請人および組合員の行動を監視する目的のもとになされたものでないこと、昭和三〇年から昭和三二年頃まで洗車事務所に米兵が監視のため立ち入つたことがあつたが、その目的は同事務所内で賭博をする日本人従業員が多かつたので日本人フオアマンの要請により、これを監視することにあつたに過ぎなかつたこと、また作業課のサージヤン、トリスが朝の配置時と夕方の退勤時に洗車場を見廻つたのは洗車場は作業課に所属している関係から、純然たる作業上の監督にあつたことは過ぎなかつたこと、ただ組合が計画しているストライキの時期が近づくとそのような時期に限つて米軍は洗車場に集る組合員の行動に注目し、ときには日本人職制を通じてこれを解散させたりしたことがあつたこと、しかし米軍が申請人個人に対してはもとより、他の組合員に対しても組合活動上のことに関して注意を与えたことは、なかつたことが認められる。
(二) 機関紙の配布について、前記乙第五、第六号証によれば、組合の機関紙「はんどる」はストライキのような特に組合員に情報を伝える必要のある場合を除いては通常は毎月一、二回定期的に刊行されているものでその配布は日当を支給された組合員が早朝交代でゲート外に立ち出勤者に手交する方法によつて行われていたことが認められ、申請人主張のように申請人が他の組合員に比し積極的に回を重ねて配布したとの事実はこれを認むるに足りる疏明はない。
4 そこで、本件解雇が不当労働行為に該当するかどうかについて検討する。
まず前記2の(一)の組合結成活動は米軍の注目をひくようなものとは認められず、また、読書研究会も前記のように実質的活動をすることなく短期間で消滅しており、これらの活動後既に約八年以上も経過しているのであり、同(二)、(三)の申請人の活動も、組合の指令に従つて他の組合員とともに統一行動に参加したというに過ぎず、特に申請人のみが指導的立場にあつたわけではない。同(三)の職場要求についての労管における団体交渉中の行動がやや他の組合員に比し目立つものであるが、それも単に要求項目を読み上げたというに止まり、同(七)の労管会議室における坐込みとともに、あくまで労管相手の行動であるに過ぎず、同(四)の反対闘争においても申請人個人として特に注目をひくような行動はなく、同(六)の資金カンパは米軍の目をしのんで行われたものであつて、同(八)の職場明朗化運動も従業員対職制および労管の問題で米軍と直接接触のあつた行動ではない。
したがつて以上の行動については、その行動の態様に徴し、米軍がこれを認識してあるいはとくに注目していたことを認めるべき特段の事情が存しないから、米軍がこれらを解雇の理由としたものとは到底考えられない。
次に同(五)、(七)、(九)の青年行動隊またはピケ隊長としての行動はいずれもストライキ中のものであり、かつ米軍施設内またはその附近において、なされたものと考えられるので、(殊に申請人本人尋問の結果によれば(五)のストライキの際、米軍においてピケの状況を写真におさめたことが認められる)米軍の注目の対象となる可能性があつたものということができるが、前記乙第六、第七号証、および証人土屋鉄彦の証言によれば、申請人は元来地味な性格で、組合活動の面でも余り目立つた行動はなく、組合が米軍と直接団体交渉等により接触することはなくて、もつぱら労管と交渉しており、組合員が米軍施設内で組合活動をしようとする場合は、米軍の許可を要するのであるが、申請人自身がその許可を求める手続をとつたことはなかつたこと、他の組合員らとともに申請人が労管と交渉する際も殆ど発言したことなく、昭和三二年一一月以来横浜労管所長をしていた土屋鉄彦ですら、同人が申請人の参加する組合との交渉の席に列席し、また申請人の参加したストライキのピケラインを巡視しながら、申請人が出勤停止の措置を受けた後申請人と会うまで、わずかに申請人の顔を知つていた程度で氏名を知らなかつたことが認められるから、この事実と更に後記認定のような事情を総合すれば、米軍はストライキ中における申請人の右のような行動を認識し、本件解雇にあたり特にこれを考慮に入れたものと考えることはできないし、また(一〇)の申請人の組合執行委員長就任、(一一)の新全駐労横浜支部執行委員等就任も前記認定のような経緯によることを考慮すれば米軍が申請人のかような組合役職を重視し、これを本件解雇におけるひとつの動機としたものと考えることもできない。
なお、申請人の日常活動についての米軍の関心の程度も前記3で認定したとおりであり、申請人主張の選挙運動については申請人は全く立証をしない。
してみれば、新全駐労が昭和三四年一〇月三〇日から二〇号協定方式に反対し全国ストライキを予定していたことは当事者間に争いがなく、本件解雇の日時が右スト予定日に接着していることは明らかであるけれども、申請人自身横浜支部においては非専従の一執行委員に過ぎず、特に他の役員に比し、発言力が強く、他の役員ひいては同支部組合員全体を指導していくような地位にあるものとは到底認めることはできないし、しかも申請人の組合活動が前記の程度のものにすぎず、米軍が特にこれに関心を示していなかつたことを考慮すれば、到底、本件解雇が申請人の組合活動を理由とするものと認めることはできない。したがつて、この点に関する主張もまた採用の限りでない。
五、以上のとおり、本件解雇の意思表示は無効であるとの申請人の主張はすべて理由がないから、被申請人の予備的解雇の主張について判断するまでもなく本件仮処分申請を却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 橘喬 吉田良正 高山晨)